【沖えり奈】現在マスターコースで修業中。
MFP授業を受けた感想。
授業の感想1年前のエデュケーターとして学んだ時とは違う対話の深さに、ただただ驚いています。服に関する知識をつけ、あらゆるシーンに対応できるようになるテクニックは当たり前。ただし、無意識の領域にある「自分」を自覚し、それを自由自在に扱えるようになってこそ真の自己表現に繋がっていくのだと分かりました。"箱"には終わりはない。だからこそ人は成長し続け、益々魅力が増していくのだと思います。ここは不思議な空間ですね。1回もリアルで会ったことがないのに、既に家族や友人、恋人にも話したことがないような心の奥深い部分を開示できる雰囲気がある。逆に利害関係のある人達、既に旧知の仲だと今更言えないこともある。年齢・性別・国境・バックグラウンドも関係なく、純粋にファッションを通じて"自分らしく"生きていきたい人たちが集まった場だからこそ、頭ごなしに否定されることもなく、切磋琢磨して開示していけるのだと思います。オンラインのメリットデメリットはありますが、だからこそできている開示方法だと思っています。このタイミングにこの場で学べて本当に良かった!
パピヨン麻衣 カナダ在住
『自分の心と言葉と行動を一致させる。』とはよくいうものだけど、そこに〝装い”も入れると更に存在に説得力がわくんだな。と自分自身も、そして変化していく仲間を拝見しても実感しています。
それは、ご一緒する人を大切する意味もあるけど、何より自分を大切にするということ。
あとは、気になったら飛び込む!
心が共鳴してる証だから。
かくいう私もそうでした。
参加するつもりもなく、ただ興味本位で説明会を覗いたあの日。。
今は、感覚に従った私を褒めたいです
笠原実三子
行動したら、人生が変わった。
結婚・妊娠・出産を経て変化した体型や衰えや老化、育児や仕事の忙しさから全く自分を顧みなくなり、どんどん汚くなっていく自分とそれを覆い隠す為に増えた服をどうすることも出来なくて途方に暮れていた時でした。
何を学ぶのか良く分からなかったけれど、とにかく説明会に参加してみようと行動したことで人生が変わりました。
「在り方」を教えてもらえた私は本当に幸せです
学校で学んでいるのは
「常に自分自身に問いかける」
自分は何者か?
今この一瞬をどう生きるのか?
何を選んでどう行動するか?
→「行動して習慣を変える」
とにかくやってみる。
踏み出してみる。
安心安全な場で。
【問うて、行動して、習慣を変える】という事でした。
ファッションから人生を変化させる本質を知っている本物の先生から本物の学びを伝授してもらえる最高の学校です。
不定期開催なので次回いつ募集があるかわかりません。
【人生を変えたい方へ】
もちろん見た目、ファッションも努力次第で変わります。努力すれば必ずあとからついてきます。
私の人生を変えたのは
自分自身が踏み出した
1歩からだと思っています
このスクールに飛び込んで
人生が変わりました。
本当に感謝しています
そしてこの学びはこれからもずっとスクールが終わっても続くことでしょう。
人生の選択は、服を着る選択は死ぬまで続くのですから。
スクールから離れても
一生学んでいきます。
そういう「在り方」を教えてもらえた私は本当に幸せです
野泉 美智子
近ごろ特に感じていることは、お店の人との会話が変わってきたことです。
先日も、ある男性ブランドの店長さんが、最近のカジュアル化の増加を憂い、どこにでも着ていける無難な服を求める人が増えてきていること、そんな話から、ドレスコードをあえて作って集まる場をもっと提供していきたいと思う、といったことを話してくれました。
それは、会話での私の質問や、まだまだ装いで足りない点は多くても、話が通じると思ってもらえたからだと思います。少しずつ、このような会話が増えてきていることに、MFJでの学びが自分のものになってきているようで嬉しく感じています。
ファッションを、ただ流行を追う、似合うを知る、といった表面的なことだけで捉えていたり、こだわることは贅沢だと捉えている方がいれば、それはとてももったいないことだと思います。
もっと早く知っておきたかった
日本人が洋服を着るようになってからの歴史は150年余り、洋服について、ファッションについて教わる機会がないままに大人になった人が大半だと思います。MFJで教わる知識は、私にとっては、これまで知らなかったことばかりで、もっと早く知っておきたかったと思っています。日本のみならず、世界に出た時にも恥ずかしくない知識を身に着けておきたい、ファッションを通して日本人として誇らしくありたい、と、学び始めて思うようになりました。
装いはギフト
そして、ファッションはただの自己満足ではないということを教わりました。自分が楽しむ、自分の気持ちをモチベートするために用いることも良いことですが、「装いはギフト」という言葉をつくられた代表の言葉の通りに、相手へのギフトになること。実際、日々の学びのなかでも、どのような思いで装い、どこがギフトになっているのか、ということを問われます。向き合っていくことは、これまでの生きざまや、自分の本質、独りよがりの多さなど、恥ずかしくなることが少なくありません。
でも、このようなことを考えることもなく、知ることもないまま死んでいくのは、とてももったいない、出会えて本当に良かったと心から感謝しています。学びは始まったばかりです。この学びを継続していきたいと思っています。
槻館かおる
自分らしく装いたいと思ったのがきっかけでしたが、そもそも自分らしいとは?私はどんな人?向き合うと意外と自分では気づかなかった、スルーしていたことが多々。そんな、なぞなぞだらけの沼のような学び。
装いは全てに繋がっていて全ては装いに現れる。
かなり深い学びでちょいちょい溺れそうになりながら
続けています。いつもの日常、55歳にして見える世界も変わりました
一緒に沼にはまりませんか?
小出 道子
自問自答、自学自省から自由自在な人生へ
好きを見失い自分を見失っていた私は
この学校入学で見つめ合い向かうことを日々積み重ねています。
自問自答、自学自省から自由自在な人生へ
1人では超えられない壁も共に学ぶ仲間の存在が力になりました。そして仲間の力にもなれる存在でありたい。
一生の学びはいつも新しい自分でいられる。輝きはあせずに放ち続けられる、きっと。
自分を諦め折り合いをつけていた過去から期待と変化を楽しむ未来へ
それぞれの人生を
楽しみ豊かにする道を進んでいきましょう。
扉はここにあります。
山下 拓也
「自由」と「自立(律)」
誰も強制してないのに、
没頭してやってしまう学校。
社会に出て、仕事をして、本を読んで、と過ごすうち、
「生きていると必ず付いてくるわりに、学校の授業ではまったく教わらないこと」
がいくつもあると知る。
しかもそれらのウェイトがけっこうな比重を占める、と気付かされる。
お金、話し方・聴き方、時間の使い方、恋愛や結婚、生老病死。「ファッション」もその一つだ。
特に男性の場合、
子どもの頃から友達どうしでおしゃれをほめあいながら切磋琢磨する習慣がほとんどない。同性の親と連れ立ってショッピングに行く、あるいは服を貸し借りするという文化がない。ほめ合いながら内心では厳しくこまかく点数づけをする、という感覚もすくない。
大人になって、会社・サラリーマンというコミュニティに入ると、服装の話題になることはない。
誰も、「何々部長、その格好ではお客さまのところへ連れていけませんよ」とは指摘してくれない。
それなのに「次のアポイントをもらえるか」「非公開の会に誘ってもらえるか」の決定打になりえる。俗にいう「隠されたドア」を開けてもらえない。
学びはじめたら学びはじめたで、いくらでも先は長いと知る。
「知らないあいだは、気にならない。けれども、一度その視点を手に入れると、気になって仕方なくなる」もの。
それが「ファッション」であり。「MFJで教えていること」だと、今のところ考えている。
誰も教えてくれないのに重要な価値がある。だとしたら自分で学びの場を探して、飛び込むしかない、ということに気づかされた学校だ。
学校で何をやってるのか」を分解してみると、主に3つだと思っている。
①自分で点数をつけて、発表する練習をしている
人から「これいいよ」と、なにかのアート作品を紹介されたとき、判らないものを判ったふりで「いいね」と言わなきゃいけない気がする。自分の目で見て、良し悪しを言うだけのことなのに、その経験値があまりにも少ないのだ。
だから、迷う。ググって、世間の評価を確認する。意見を言いきらず、ブレーキペダルに、軽く足を置いてるあの感覚だ。
でも、あたりまえだけど、踏みこむべきは、アクセルだ。
学校ではそのことを教えている。
生徒が、自分で考えて、それを表明する。「学校という安全な場所でリスクを取る練習」をする。そこにとても大きな意義があると思う。
②多様性を受け入れる練習をしている
「違う分野にいるけど、姿勢は通じるものがある」人と意気投合するのは、実はすごく簡単なことだ。そうすることが「快適」だからだ。
違和感のあること、理解できないこと、反発を覚えること。そういうときに否定するのでなく、ひとまず存在を認めること。これがとても難しい。そうすることが「不快」だからだ。
学校では、「全員が仲良しになる必要はない」「けれど相手の存在には関心を持とう」と教わる。
「多様性の受容」は、トレーニングしないかぎり伸びない能力だからだ。
③勉強する習慣づくりをしている
誰もがみな、やれることをやれば変われる。
誰もがみな、圧倒的に勉強の量が足りない。
このメッセージは、初めて参加した説明会のときから繰り返し繰り返し聞かされている。
「エネルギーをいただきました」と口では言う。
「私、変わりたいんです」と質問では手を挙げる。
実行にうつす人、継続する人、まして量を追う人は、とても少数派だ。
逆もそうだ。「勉強が足りん。もっと勉強しいや」と熱く何度も語る先生も、そうそういるものではない。エネルギーも費やすし、面倒くさいからだ。
「じゃあ、なんで生まれてきたの? と問いたい」
「そのまんまでいいと思ってたら、この学校に入ってないよね」
ふだん所属している会社やコミュニティで、こんな会話はまず聞かれない。
だから、とても親切な学校だと思っている。
「価値の高い教室」の共通点というものがあって、MFJでの例をいくつか挙げてみる。
①強制されてないのに格闘している。
大の大人が、仕事でもないのに真剣に取り組んでいる。
自分の自由意志で参加してるのに、課題発表前に緊張する。ひいふう言いながら課題と格闘している。
「自分の行動を変える価値」を、直観的に理解してるからだろうけど、一見不思議な光景だ。
②教えるのは「知識」ではない。
その価値が、「知識や正解を教わること」ではない。極論すると、「できるようになること」ですらない。
「有能」になることのまえに、「有意識」になること。
「その時点の自分」を見せつけられること。見苦しい自分、不完全な自分に気づくこと。
その機会を提供している。
③受講していない時間にも学びがある。
授業が開催されない日も学び・上積みがある。考える題材がさまざま提示されるのに対して、調べる、疑問を持つ、自分の頭で考える。いろんな訓練をするからだ。
これらは、本業の仕事をするとき、または生きていくのに必要な能力そのものだ。
学びの進みが、自律的に動いていくのは大きな特徴だと思う。
④「他の生徒へのフィードバックも役に立つ」
学校ではFacebookグループを主に活用する。1コマの授業が終わると、その日のうちに、また翌日にかけて、感想・気づきの投稿で、コメント欄が大盛況でにぎわう。お世辞や儀礼で書いてるか、リアルに書いてるかは、読めばわかる。
ほかの受講生の感想、またそれらへの政近代表からのコメント返しが、非常に参考になる。
ライブの授業でも同じで、誰かの提出課題を事例に、解説やアドバイス、時には辛口の手厳しい指摘が飛ぶ。ものすごい気づきを得る。
「自分以外の受講生へのフィードバック内容を聞いても参考になる」は、良い学校、一級の講師 に共通することだ。
⑤多彩な参加者
受講生の、属性キャラクターがとても多岐にわたる。ほかの、ビジネス系セミナーと比べても、突出していると思う。
たとえば「プレゼンと交渉力」のセミナーに行ったら、もうすこし参加者の属性(特に職業)や動機、温度感が似通う。数学っぽくいうと、分散が小さい。
これはどちらが良い悪いの問題ではない。分散が小さければそのぶん、教えあいっこや交流も進みやすい。という大きなメリットがある。
MFJの場合、参加した動機・勉強の目的・バックグラウンドが多彩だ。数学っぽくいうと、分散が大きい。
自力でお金を手にもって東京駅前の広場で「多彩な人たち、私と仲良くしませんか!」と叫んでも、得られるものではない。へたをするとどこかへ通報されるリスクだってある。
授業そのもので得る知恵や知見とは別に、一つの価値を提供していると思う。
政近さんの、よそでは教えてもらえない内容、情報量の多さとリッチさ、特徴ある語り口と熱量。
似た学校、似た教材をほかに知らないし、おそらくどこにもないと思います。
ファッションのスクール、と聞くと、
「おしゃれに着こなす」「流行を敏感に取り入れる」
あるいはもしかすると
「高価な服を着せられる(買わされる)」
という印象を持つかもしれません。
入ってみるとわかるのが、
「サスティナブル」「知性と感性の両輪」「人との違いが人の価値」「多様性を認める」「見える・認識するとはなにか」
などなど、前述の印象とはまったく別の世界観が広がっています。
それと、授業の内容そのもののリッチさ、深さ、とは別に、
「クオリティの加減をしない」(無料説明会だからと薄くない)
「安心、安全な場づくりに労力をかけている」
が、政近さんの、また学校の、大きな特長であり、リピーターを呼ぶ魅力だと思います。
講義の内容そのものと、場の持つエネルギー(心理的安全性、前向きさ)に引っ張られて、みんな真剣にのめりこむ。
誰も強制してないのに、没頭してやってしまう。仕事や日常生活のなかで、時間を捻出して、提出課題に取り組む。
と、ここまで書き出してみて、「でも全部はとうてい伝わらないだろうな」とも思います。
「価値の高い教室」の共通点で、それを知らない人にそれが何であるか一言で描写しきれない。その価値や良さをわかるように説明するのが難しいからです。
興味関心を持たれたら、ぜひ説明会に申し込んでみてください。
前述の、「無料説明会であっても薄められてない」「説明会なのに刺激、価値を得られる」を、体感いただければと思います。
MFJという学校の特徴として、2つの「自」があると思っています。
「自由」と「自立(律)」です。
「自由」毎回の授業に出席するかしないか。途中退出するか最後まで聴講するか。課題を提出するかしないか。いつ提出するか。
ほかの受講生の提出課題を見るか見ないか。人の投稿にコメントを書くか書かないか。
ときに手厳しい助言や指摘を言われて、受け止めるか受け流すか。落ち込むか、気にも留めないか。そもそもこの学校にどのぐらいのウェイトで、どのぐらいリソースを注ぐのか。すべて自由です。
一度も強制されたことはないし、誰からも怒られない。「自立(律)」それらの裏返しで、学校ではすべて自分の意思で取り組む。自分で自分の予定を空け、課題について調べ、準備をし、授業に臨む。
自分の作った課題を発表し、フィードバックを受ける。学校からの問いがすでに「人との違いが自分の価値」だから、「自分で自分をどういうふうに取り扱いたいのか」は、この学校のすべてについてまわるテーマだ
。自立できること。あるいは自律できること。"学校生活"を意味のあるものにするキーだ。これら二つの「自」を支えるのが、第三の「自」、すなわち「自在」だと思う。ファッションに詳しい人、そうでない人。
ビジネス他流試合の場に慣れている人、そうでない人。どんどん課題をこなす器用な人、不器用な人。
次々と新しい取り組みを試して目立つ人、地味だけどコツコツ継続する人。さまざまな受講生の状況にあわせて、厳しさ・優しさ、細かさ・粗さのボリューム調整が、自在なのだ。
「自在」が言い過ぎなら、少なくとも一人ひとりを観察して、態度・表現方法を変えている。
そして、実践している人、提出する人、続ける人、質問する人へのフィードバックは多い。機会は平等で、行動量に応じて出力が変わるから、それに応じた量・頻度になる。当たり前のことだ。
「取り組んでいる生徒とそうでない生徒で扱いが同じ」なんてことはあるはずがない。それでも授業で、全員に向かって、「いまの自分を変えたいから学校に入ったんでしょ」「練習しなかったら上達しないし、変化が起こるわけないよね」と口うるさいことを言ってくれるこの学校は、とてもとても親切な学校だ。
関心をお持ちだったら、説明会に申し込んでみてください。
説明会だけでもコンテンツとして十二分に成立する濃さで、きっと得られるものがあると思います。得るものがなかったら?
責任を取ったりはしません。行動を起こして、結果責任を受け入れるのは、いつだって自分自身なのですから。
Yoko Yamamoto
重い。でもその重さは鎧のような重さではなく、何と清々しく心が満たされることか…。
服は鎧のように自分を守り、強く見せるものだと思っていたのかもしれない。けれどそれでは、どれだけ「いい服」を着てカッコつけても「安心」はできない。そんなことを感じていた時に、導かれるようにMFJという学校に出会えた。
「装いはギフト」…相手のことやその場のことを想い装うことを教えてもらっている。ではその服を着た時の顔付きは?身体は?そして心は?そうして結局は「服のこと」だけではなくなり、自分の生き様そのものを問われていくことになる。重い。でもその重さは鎧のような重さではなく、何と清々しく心が満たされることか…。服は一生着る。生涯の最期を自分はどんな装いで迎えたいのか…それがその人の生き様。満たされ、楽しい人生になりますように。まだまだ学びは終わらない。
いやー、私みたいなコテコテの還暦オーバー大阪人から、婚活中女子、現役ビジネスマン、大学教授など多士済々。そして参加国は日本だけじゃないよー、ヨーロッパやカナダなどからも。旅行中でもできちゃうのがオンラインのいいところ。
とにかく、普段の生活では会う事のできない人たちと楽しく学んでいます。」
山本 秀樹
【本当の輝きが解き放たれる。】
最初に参加した目的は単に服装をカッコ良く着たいだけでしたが、浅はかでした。偶然にも本物の服飾の世界に踏み入れ、その奥深さに痺れっぱなしです。
自分のスタイリングは、世界の文化、歴史の理解と、服飾の理解、社会とのつながり、そして深い自己統合ができて、はじめてできるものです。日本のオヤジも本当の意味でカッコ良くなりたいものです。僕はまだまだ道半ばですが、これから変幻自在に自分のスタイルを作り上げていくのがとても楽しみです。
そして、日本のスタイリング業界を創り出した、プロ中のプロ政近さん。本物の一流のプロの仕事を見せていただけることが何よりの財産です。人生が変わります。学ぶなら本物からです。
Kaori Sakurada イタリア在住
自分と自分を取り巻く世界の視点が変わる学校。
ファッションに興味を持たなかった私が、ひょんなご縁からこのスクールに飛び込むことにした。
しかし、巷に溢れるファッションの学校ではなかった。
知らないうちに自分で自分をを閉じ込めていた固定観念や思い込みを問いかけられ、自分でも問いかけ、それを外していく作業が行われていく。
そして、表面に現れる「装い」は、その結果だということを知る。
自分がどう有りたいかを見極め、そこへ辿り着く為に何をするのか、何を止めるのかを考えて行動に移すということを学んでいる。
どの年齢の人でも、ここで学んだら「今まで自分は何をやっていたのだ!」と、気付くことのできる学校。
自分と自分を取り巻く世界の視点が変わる学校。
千代田真由子
MFJは自分の枠を飛び出せる場です。脳みそや感性を揺さぶる学校で、刺激しかない場、私は今後の生き方も考えさせられました。
私は今までにもファッションの勉強を少ししてきました。その中では技術の勉強(格好良く見える、スタイルよく見える、色の合わせ方)などです。
MFJではまず「あなた」を問われます。
なぜその服を着たのか?その服はあなたとどう関わりがあるのか?その場に合っているか?
「装う」と言う事はどういうことか歴史や様々な事柄から考えさせられ、今まで生きてきた中で疑問に思わなかった事を問われます。
MFJは自分の枠を飛び出せる場です。脳みそや感性を揺さぶる学校で、刺激しかない場、私は今後の生き方も考えさせられました。
学校に入学できて、仲間と学べて、常に新しい刺激があるエキサイティングな学校です。
金子春美
人生の濃度が変わる学校。
いつも大人しくみられる。本当の自分はそうじゃないのに。変わりたいけど、あと一歩が踏み出せない。いままではそう思ってきた。学校に入って、それは全部自分がそうさせているんだって気が付いた。大人しく見える服を選んでいるのは自分だし、一歩踏み出さないことを選んでいるのも自分。かっこよく服を着たいから学びに来たのに、いきなり深い真実に向き合ってしまって現在も格闘中。こんな学校はほかにない。学び始めて少しずつ人生の濃度が変わってきている。ぜひ一緒に人生の濃度を上げていきましょう。
MFJとめだかの学校
皆さんご存じの童謡「めだかの学校」
1,
めだかの学校は 川のなか
そっとのぞいて見てごらん
そっとのぞいて見てごらん
みんなでおゆうぎしているよ
2,
めだかの学校のめだかたち
だれが生徒か先生か
だれが生徒か先生か
みんなで元気に遊んでる
3,
めだかの学校はうれしそう
水にながれてつーいつい
水にながれてつーいつい
みんながそろってつーいつい
めだかは川の中で生きています。
私たちは空気の中で生きています。
めだかは本当は学校に行かなくても泳げます。
こんな論文もあります。
Why Fish Don't Need to Be "Schooled" in Swimming
The answer lies in the fish genome, suggesting that complex social behavior in other animals, including humans, is also genetically ingrained
By Jennifer Sargent, LiveScience on September 18, 2013
余談ですが、ではなぜ「めだかの学校」なのか
英訳はSchool of Medaka あるいはMedaka Fish's Schoolでしょうか。
なんと魚の群れは、英語でschool というそうだ。
本題に戻ると
私たちは空気の中で生きているけど
生まれるとすぐ「おくるみ」のお世話になる。
衣食住のはじまりですね。
それから私たちは色々なことを学ばないと
空気だけでは生きていけません。
この学びに終点があるのかどうか?
これはその人によって違います。
なぜなら 学びは“やりたいけどできない”が原点だからだと思います。
そして学びの師は、やはり人です。
おくるみは赤ちゃんにとっては生命維持管理装置
周りの人々は、そこから
命の愛おしさ、感謝、決意・・・など
おおくのマインドを感じます。
赤ちゃんではない今の自分
周りの人々に何か感じてもらえる存在でしょうか。
そんなことを考える場でしょうか。
MFJ
Hiromi Romy Kaneko
決して強制的に「やらされる」のではない、大人のスクールです。
ファッションのプロとして働いている皆さんにも大変お勧めのスクールです。
MFJは、ただ「すてきー」と言い合うような表面的な装いだけを学ぶところではありません。
私はファッション業界でその道のプロとして数十年過ごしてきました。
並行してイメコンやカラー等の資格を色々と取得してきましたが、MFJが一番魂に響いて沼にハマったスクールであることは間違いないです。
それは装いとマインドの関係を説いている(&問いている)からでしょう。
とにかく授業が奥深く、様々な問いかけのシャワーを浴びまくります。
そこにどう響いて行動するかはその人次第。
決して強制的に「やらされる」のではない、大人のスクールです。
もちろん沢山行動をした生徒さん達は輝きを増してゆきます。
入学時とは別人の表情になった方達も数多く見てきました。
服を作ったりトレンドを作ったりするファッション業界では学べなかった真の学びがここにはあります。
Junko Miura ドイツ在住
授業は、濃くて深く広い熱い、そして温かい愛があるもの。
説明会で授業の概要の「装いはギフト、(表面だけではない)ファッションとマインドとボディの学校」と聞いて、「まさに、こんな学校を探していた!」と思いました。
そして、その内容は、濃くて深く広い熱い、そして温かい愛があるもので想像以上の授業の連続です。
クラスメートの装い・言動・成長に刺激を受けて、安心安全の場である授業でトライ&エラーを繰り返し、問いながらお互いが成長していきます。
「自分を客観視し、他人に興味を持つことで自分と他人との違いを知って自分の可能性を広げる」こんな深い学びの学校に出会ったことに感謝しています。
Chiaki Sarana
「自分を諦めない」そんな気持ちがわいてくる学校です
ファッションの学校なんですが
そこに収まりきれないほどの学びがあります。
自分の壁や思い込みを外すため
いろいろやってきた人にこそ入学して欲しい学校です。
ファッションで内面が?と思うかもしれませんが
1日の装いを考えることで
自分の内面(気づいてなかったこだわりやヘタレなとこやしょうもない思い込み、傷など)が浮き彫りになってきます
その実践方法をおしえてくれます
毎回「はっ!」とすることがあるのですが
普段の生活では見過ごしていたことばかり
「自分を諦めない」そんな気持ちが
わいてくる学校です
もちろんファッションについても
本音のコメントが響きます
人前に立つお仕事をされている方や
これから何か始めようとしている方は
是非!!
森 さくら
「ファッション&装いを知ろうともがくことで、自分の表現の仕方を身に着ける」
今日、何を着るのか?という問いに対して、【どうしたら自分で選びきることができるようになるか】を、政近代表や一緒に学ぶ仲間とのオンライン上でのやり取りを通じて、自分と向き合い続けます。
1年半が経ち、「今日は、この想いでこの服を装っています」と表現をすることの価値を痛感する毎日です。その軸には、政近代表が伝えてくれる「装いはギフト」や「マインドフルファッション」など、周りにも、そして自分にも優しさに溢れる想いがあります。
自分のためだけではなく、その日会う人や場のことを思って装う「ギフトファッション」、自分のすべてを表現することが怖くなくなる「マインドフルファッション」、その二つの優しい表現の仕方を学んだら、装うことが楽しくなりました!
さあ、明日は何を着ようかな!?
Kiwako Yuasa
ファッションと生き方は繋がっている
という事を自分は学びました。
ファッションとは自分の内面のあらわれなのだと今は思っています。
そんな学びは、今はここでしか学べないと思います。
何かピンときたのならば、是非学んでみて下さい。
吉谷 和江
「人の価値は人との違い」
「私は色彩なども含め、ファッションをきちんと勉強したことはありませんでした。
ただ、かっこよく見せたいとか、ステキと言われたいとか、そんな浅はかな考えで過ごしていました。
MFJでは、「人の価値は人との違い」と教えられました。
じゃ、私は人とどう違うの?私の持ち味は?私の本来の可能性は何?・・・。
そんなこと、学生時代はともかく、大人になってから自分に問いかけることもなかった。
ファッションの学校というよりは、師がいて、仲間がいて、一緒に価値観、人生観を掘り下げていく寺子屋みたいな場所です。
この学校で「自分を知るには人に興味をもつ、人を見ることで自分が分かる」ということも学びました。
いかに「自分自分」となっていたか、それがいかにカッコ悪いことかを思い知らされました。
まだまだ学ばなければならないことばかりですが、やはり学びは本質的な人から学ぶのが一番大事なこと。
そういうことに気づく事が出来たのもMFJに入学出来たからだと実感しています。」
よろしくお願いします。
メレ 安芸
これは死ぬまで続く学びなのだと実感。
プロとして目指していない人でもファッションの勉強ができる、それもプロ中のプロ、政近さんから学べるということで、説明会の2日前に知り、直感で飛び込んだ世界。
入ったら、「ただのオシャレな人になる」とは段違いの別世界。
毎日服は着るものなのに、何もわかっていなかった。
ただのコーディネイトではなく、そこには自分の人間性が問われ、そして相手への「ギフト」も問われる。
今までは迷いなく着ていたものも、毎日クローゼットの前で葛藤する日々。
これは死ぬまで続く学びなのだと実感しています。
先日、いろいろな人と出会い、話す中で、授業で学ぶような視点で「服を着る」人が案外少ないことを実感。
でもそれは1年前の自分の状態でもありました。
知っているか、知らないか。
まだまだ葛藤の日々は続きますが、本当の意味で外見(ファッション、ボディ)と内面(マインド)を学んでいます。
ファッションを表層ではなく、本質から触れたい方には本当にオススメです。
Kaori Motohashi
【人生観が変わる学校です】
子供のころから服が大好き。自分なりに工夫をして装っているのに、なぜかあか抜けない。スタイルのある人と自分の違いはなんだろうと、悶々としていたところに、説明会のお知らせが。それがMFJとの出会いでした。
入ってみたら、表層的なファッションの話ではなく、ファッションとマインドがいかに深くつながっているか、生徒さんたちのリアルな実例、人生の本質をつく話のオンパレードに、ものすごく衝撃を受けたことは、いまでも鮮明に覚えています。
スタイルがある人というのは、とにかく自分のことをよく知っています。自分のルーツ、何が好きで何が嫌い、たった一度きりの人生で自分は何をしたいのか。そして、それらの価値観や生き方が、ファッションとリンクして表現されているのです。
ファッション大好き人間として、自分なりに追及してきたつもりでしたが、すべて中途半端でした。でも、時間はどんどん過ぎていきます。過去の失敗はエジソンの実験だと思い、学びに変えました。今では自分と向き合い、毎日コツコツと練習しています。
たとえばこんなことを自分に問います。
自分のサイズに合った服を着ている?
TPOには合っている?
ただ自分が着たいからという理由ではなく、今日会う相手への配慮をした装いになっている?
また、スタイルのある人は、これでいい ではなく これがいい で服を選んでいます。
時間をかけて これがいい を探し続けて選びきる。だから、服に愛着がわき、お手入れをしながら長く大切に着られるのです。
自分に合う服を選びきり、TPOを踏まえ、今日会う相手へのギフトにする!
そんな自分になるための道のりは、はっきり言って長い。まだまだ道半ばです。
ですが、追及するのはとても楽しい。だって、自分スタイルを作るため、私らしい人生を生きるために必要なことだと、今は知っているから。あか抜けないのはなぜ?の悶々期から、がらっと人生が変わったのは言うまでもありません。
MFJは、こんな方にお勧めします。
ファッション迷子さん。
自分のことがわからない。
似合うがわからない。
服がマンネリ化している。
お店では素敵に見えた服が、普段着るとなにか違う。
自分スタイルを構築したい。
ピンときた方、まずは説明会へお越しください!
坪井愛美
自由になっていくための「教養」であり「ツール」である"装い"を、これからも学び続けていきたいと思います!
【「女性らしい服装」「大人らしい服装」「ドレスコード」など、以前の私にとって服装とは「らしさ」や「ルール」に縛られる、とても苦手で気が重くなる分野でした。怖いのは知らないから!と飛び込んでみて180°認識が変わりました。単なるオシャレ…ではなく、衣食住の「衣」、365日ほとんどずっと自分の目にも人の目にも入る影響力をもった自分の一番外側。縛られるものではなく、むしろ自由になっていくための「教養」であり「ツール」である"装い"を、これからも学び続けていきたいと思います!】
望月啓子
唯一無二の学校。
タイヘンだけど楽しい。人生と同じ。簡単じゃつまらない。その分かけがえのない、他では手に入らなかったものが手に入る。誰も言ってくれない、本当のことを教えてくれる。
ファッションとは、自分と社会をつなぐもの。MFJを通じてそのことに気付いてから、自分はその日、その場でどうありたいのか?を常に自分に問うこととなりました。もちろん簡単に答えは出ず、生きるのに精いっぱいで周囲からの見え方にまで気が回らない日もある。自分の場合は自分にガックリくることもとても多い。それでも自分を諦めず、もがきながらもまた新しい日を生きていく。3歩進んで2歩下がる。でもほんの少しずつでも進んで行く。タイヘンだけど楽しい。人生と同じ。簡単じゃつまらない。その分かけがえのない、他では手に入らなかったものが手に入る。誰も言ってくれない、本当のことを教えてくれる。唯一無二。出会えたことに心から感謝しかない。そんな学校です。
Junko yamazaki
あなたが、どういう人生を歩む人か。誰の責任でもなく、自分自身の問題。
この学校に入ったおかげで私の内面にはびこっていた物が次々と浮き彫りになりました。それが代わり映えしない装いになっていたのではと思います。
これからは本当のオリジナルが出せるよう挑戦します!内面にはびこっていた物・・・私の場合は家族との葛藤、私自身の癖などです。この学校はそういうことをさらけ出しても大丈夫、いえこの学校だからこそさらけ出せるんです。誰もそれを否定しないし、笑いもしません。ちゃんと受け止めてくれて、じゃ次にどうする?と前を向かせてくれるからです。
あなたもこの学校で一歩足を踏み出しませんか?」
MFJでは、さまざまな「課題」をスクール内の「学びの場」で実践することで得られる気づきや経験に加え、スクール外の「リアルの場」(ブラックタイパーティーや政近代表の講演同行等)を体験できることも、スクールの大きな価値のひとつ。スクール外のリアルな空間に実際に身を置くこと、リアルな人たちと実際に接することから得られる刺激や情報量は半端ない。普段はあまり意識をしていない自身の「コンフォートゾーン」。スクール内外の学びがその「コンフォートゾーン」に気づくきっかけとなる。そこから一歩二歩踏み出すことで世界の見え方が変わり、その「新たな景色」が自分をアップデートしてくれる、そんな感覚を幾度も感じることができる、ここは唯一無二の学びの場
吉村 直美
あなたは今日、なぜその服を選んだのでしょうか?
自分のマインドが、その装いに表れています。
この学校は、ただおしゃれに見えるということを学ぶ学校ではありません。
私は2022年、桜の咲く頃に入学しました。
どうありたいのか?だからどう装うのか?
半年も学んだのに、私はまだ、頭の中が「自分自分となっている、相手へのギフトを考えていない」「聞いたことがある、知っているの状態」とつい数日前、痛感することがありました。ガツンと来ました。なぜそうなのか?それは、何かを言い訳にして、日常の行動の積み上げをしていないから。だから、入学した最初の目標「無難からの脱出」が、まだできていません。足りない自分と向き合い中です。
それでも、諦めずやろうとするならば、応援をしてくれる、失敗もさせてくれる、そんな厳しくもあたたかな学校です。
マスターからの問い、仲間からの問いから、たくさんのヒントがあります。自分への問いも深まり膨らみます。何かに気付けたならば、次は行動です。一人では行動を続けられなくても、仲間がいれば進められるということもあります。
どうありたいのか?だからどう装うのか?一緒に学んでみませんか?
180°認識が変わりました。
【「女性らしい服装」「大人らしい服装」「ドレスコード」など、以前の私にとって服装とは「らしさ」や「ルール」に縛られる、とても苦手で気が重くなる分野でした。怖いのは知らないから!と飛び込んでみて180°認識が変わりました。
単なるオシャレ…ではなく、衣食住の「衣」、365日ほとんどずっと自分の目にも人の目にも入る影響力をもった自分の一番外側。
縛られるものではなく、むしろ自由になっていくための「教養」であり「ツール」である"装い"を、これからも学び続けていきたいと思います!】
あとりえ ゆりこ
『身包み剥がされた私』
心に不安がある時、自分を守ろうと心を隠す。それは『装い』も同じ。プラスしながら迷い、『自分らしさ』をなくす。自分自身では気づいていない。
それを学びの中で、さり気なく気づかせてくれる。毎回、ヒントを与えられるけれど、気づけるか?どうか?は、自分自身の受け取り方。
本当のシンプルな『装い』とは?『ギフト』とは?学びの中で進化できる自分自身。毎回悩むけれど、
その先には、ワクワクと楽しみしかない。